著者は中国との国境に近い江界で食糧需給指導員として働き、食糧の配給に従事した後、不正行為の濡れ衣を着せられて直決所(拘置所)に入れられる。出所後は金日成革命史蹟舘で物資調達の任務にあたった。配給が滞ったので物資調達の担当が必要になったのだという。物資の調達は賄賂がなければ進まず、調達しても絶えず泥棒や兵士や警官に狙われる。結局著者は不正行為の疑いをかけられて1993年に北朝鮮から脱出せざるをえなくなった。その後中国を五ヵ月さまよった末に韓国に入国することができた。
第一部では著者が住んでいた江界の軍需工場の実態を記す。具体的かつ詳細だが、どこまで信憑性があるのか分からない。第二部は自伝になっており、1990年前後の北朝鮮の経済状況をうかがい知ることができる。タイトルに反し、本書の中心は第二部と考えるべきだろう。
朝鮮戦争の際にスターリン、毛沢東、金日成らが交換した電報や書簡を集め、解説を付けている。開戦から休戦まで、スターリンは一貫して最高指導者として毛沢東や金日成に指示を与えていたことがわかる。武器援助や作戦指導も具体的に数字を挙げながら行っている。毛沢東や金日成は重要な問題に関してスターリンに承認を求め、援助を依頼している。
5月に発行された著書の続編。人道支援活動の経験を踏まえて北朝鮮の体制を批判するとともに、中朝国境の難民にも関心を向け、金大中の太陽政策を疑う。
今年6月に北京のUNHCR事務所に籠城し、韓国への亡命を果たした一家による手記。飢餓に苦しむ北朝鮮の状況が描かれた絵が数十枚掲載されている。籠城事件の際に一家と行動をともにした石丸次郎氏が事件の経緯を解説。
リ・ファヨンさんの手記には亜鉛精錬工場へ毎日通って原料を盗んだことが記されている。たくさんの子どもが何度も捕まって殴られながら盗みに通っていたという。子どもたちがうたっていたこんな歌が紹介されている。
工場の高架の見張り どれほどいやなやつらだろう ぼくらが入ると ふたつの目でにらみつける 勇ましい子どもの偵察兵 飛び上がり後ろ蹴り どいつもこいつも見張りだな 硫酸水のタンクにどっぷ〜ん
北朝鮮の国際関係と経済に関する研究論文を集めている。政治的な色は薄い。今泉良太氏による第六章が北朝鮮の「自立的民族経済論」の形成と現在の状況を論じており、非常に参考になる。90年代の経済危機に関しては第八章でイ・チャヒョン氏が触れており、原因はソ連・東欧の崩壊によるバーター取引の停止・中央集権的経済体制の根本的な非効率性・「自立的民族経済」路線や重工業優先政策の失敗、という三つの点にあるとされている。
著者は1970年に韓国から日本に亡命した人物。韓国の民主化や南北統一を訴えるとともに、朝鮮を植民地化した過去を反省しない日本を批判している。しかしKCIA(韓国の情報機関)の謀略や工作を疑い、アメリカ・日本・韓国・北朝鮮の外交的駆け引きを論じるばかりの観念的な進歩派で、南北朝鮮で現実に生きている民衆には全く関心がないように見える。亡命後の自分が言論人としていかに重要な実績を積み重ねてきたかを繰り返し自慢しているのにも閉口させられる。
2000年の南北首脳会談以後の国際情勢を分析。日米韓と朝中露が対立する新たな冷戦が始まった、という基本認識に立ち、韓国が南北和解ムードに流されて朝中露に取り込まれかねないことを警戒する。
クリントン政権の「ペリー・プロセス」と金大中政権の太陽政策はアメリカ主導か韓国主導かという違いがあり、競争関係にある、という。また、核疑惑をめぐる米朝枠組み合意は、大量破壊兵器の拡散を防止するためには軍事行動も辞さないというアメリカの世界政策が有時体制が未整備な日本や第二次朝鮮戦争は避けたい韓国の利害と一致していなかったために余儀なくされたものだ、と分析している。
金正男の従兄として北朝鮮で生活し、その後韓国へ亡命した著者による手記。母の成ヘランによる『北朝鮮はるかなり』と同様、「ロイヤル・ファミリー」の贅沢な暮らしぶりが書かれる。著者は1982年に亡命したが、1997年に何者かに銃撃されて死亡した。
日朝国交正常化を支持する立場からの論文を集めている。1965年の日韓条約の問題点、戦後補償、在日コリアンの地位、拉致問題など、関連するテーマを一通り網羅。
ドイツ緊急医師団「カップ・アナムーア」の一員として北朝鮮で18ヵ月間活動した医師による手記。
著者は1999年7月から北朝鮮に滞在し、火傷患者への皮膚移植に協力したために美談の主人公となり、「友好メダル」を授与された。しかし活動を続けているうちに体制への疑問が生まれた。2000年末、アメリカのオルブライト国務長官が訪朝した際に同行記者団を案内して体制に批判的な記事を書くことに協力したために国外退去処分を受けた。
北朝鮮で医師として診察をはじめた著者は、若い入院患者に多い「精神的な症状」に気がつく。「心身医学的な観点から見ると、人生にたいする大きな不満が原因だ。病歴を見ればわかる。将来の夢や考え、理想、夢、希望、目的などが全然ないのだ」。また、栄養失調の子どもたちが「中毒性の消化不良」と診断され、見当違いの薬が与えられていた。手術は麻酔もなしに行われる。北朝鮮の医療はおそるべき水準に落ち込んでいる。
一方、西側の援助機関の人間たちにも批判的な眼が向けられる。彼ら・彼女らは「援助者」として傲慢にふるまい、朝鮮人を見下す一方、一般の住民から隔離された外交官地区のオフィスで「気楽なミーティング生活」を続ける。
2000年の元日に舞踊団の踊りを見に行くと、アディダスのスニーカーをはき、ナイキの帽子をかぶった北朝鮮の若者たちが集まっていた。高位の将軍を父に持つ女子学生の部屋にはマドンナのポスターや「タイタニック」のビデオがあった。これらの人々は特権階層に属するのだろうが、体制の価値観を固く守っているわけではないようだ。本書の中でも特に興味深い記述である。
一般の人たちも決して特別ではない。「友好メダル」を授与され、北朝鮮のマスコミでも繰り返し取り上げられたため、著者は街に出れば「有名人」として取り囲まれる。名刺を配り、即席の診察を行う。西側の人間だからといって遠ざけられたりはしない。
しかし、著者は最後には「国家の敵」となる。正体不明の水害対策委員会との会議で追及され、こう宣言する。「たとえば、医療の面で人々をもっと手厚く援助するためにはどうしても政治的な変革が必要だとするなら、そしてそれが、各国のマスコミをもっと受け入れ、旅行や発言が自由にでき、すべての人の人権を尊重することによってのみ達成できるとするならば、私も医師としていまいったような意味での『政治的な』任務を引き受けざるをえないだろう」。
いまや著者は北朝鮮社会そのものに診断を下す。「この国の人たちの大半が冒されている病は、凄まじい恐怖です。残忍きわまりない弾圧によって国民を支配下におこうとするスターリン主義の恐怖政治における恐怖。このために国民は病気になっているのです」。この病気を「治す」ため、著者は現在ではソウルに滞在し、北朝鮮の人権状況に対する告発を続けている。
北朝鮮のヤミ市場をうろつく孤児をビデオ撮影した安哲氏と、義兄の朴東明氏の手記。1999年に出版された『コッチェビの叫び 秘密カメラが覗いた北朝鮮』(ザ・マサダ)を文庫化したもの。朴東明氏の手記は食糧の配給が止まったため農村へ食糧の買いだしに出かけたときの各地の混乱ぶりや企業幹部が援助食糧として受け取った30万トンのうち5万トンしか労働者に回さなかったことなどを記している。
金正日の最初の妻、成ヘリムの姉による手記。妹とともに金正日の官邸で20年間生活し、そこで観察した一人の人間としての金正日が描かれている。孤独で、気性が激しく、成ヘリムとの間に生まれた正男を溺愛する様子など、ほかの誰も書くことができない貴重な記録と言える。
著者の家族はもともとソウルに住んでいて、朝鮮戦争の前後に北へ渡った。母は献身的な共産党員で、一時期は労働新聞で働いた。本の前半はこの母に関する伝記になっている。
ほかの脱北者とは違い、著者は韓国で政治的に利用されることを嫌って西ヨーロッパへ亡命した。北朝鮮や金正日についても全面的に否定しているわけではない。韓国の当局による情報操作は入っていないと考えてよく、その意味でも信頼性は高い。
脱北者の手記やインタビューを編集したもの。飢餓で両親が死んで孤児となった兄妹、中国へ脱出したが弱味につけこまれてむりやり売春させられた女性、完全統制区域と呼ばれる収容所からの脱出に成功した元国家保衛員(日本でいう公安)などが登場する。編者の趙甲済氏は昨年の『金正日と金大中 野心と野望』で反共的な観点から軍事独裁政権を積極的に評価して南北会談を批判しており、スタンスには問題のある人物だが、この編著には文句のつけようがない。
亡命者からの聞き取りにはじまり、経済、政治、軍事、外交の状況までを網羅。ふだんはオタク的な細部の分析にばかり熱中する惠谷治もこの本では「地方の生活原理」という章で比較的マトモなことを書いている。1998年に出版された本の文庫化だが、同じグループが昨年出した『金正日の哄笑』より優れている。ただ、田中明氏の「朝鮮のエトスと金正日」は北朝鮮の独裁政治を昔からの朝鮮文化に根ざすものとしており、著者の朝鮮人に対する差別感情が透けて見えるヒドイ論文。
北朝鮮の軍事力は一般に言われるほど低くない、と評価する。朝鮮半島には高句麗・新羅・百済の時代の対立が現在も残っており、百済出身の金大中は新羅との対抗から高句麗の伝統を引き継ぐ北朝鮮に親近感を持っているという。