朝鮮民主主義研究センター

2009年6月 7日

蓮池透さんの著書『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』

最近数年間、蓮池透さんの拉致問題に関する発言は家族会や救う会からかなり離れてきていた。昨年12月には日朝国交促進国民協会の集会、今年3月には日朝国交正常化推進議連の勉強会で講演し、経済制裁一辺倒の北朝鮮政策を見直すよう訴えた。

日本共産党に近い出版社から先月出た著書『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』もそういった立場からのものだ。2005年の著書『奪還 第二章』で示された方向性がさらに明確になっている。

透さんによれば、日本政府は拉致問題を解決へと向かわせるチャンスをこれまで4回つぶしている。

一回目は2002年9月17日。拉致被害者について北朝鮮から出された「5人生存・8人死亡」という結果を受け入れ、日朝国交正常化をめざす平壌宣言に署名してしまったことだ。死亡したとされる8人はもちろん、生存している5人をどうするかさえ決めずに帰ってきた。

二回目は5人の拉致被害者が帰国した時。日本政府は北朝鮮に対して「一時帰国」を約束してしまっていた。透さんを含めた5人の家族が説得した結果5人は北朝鮮に帰らないことを決めたため、日本政府は一時帰国の約束など存在しないと強弁することになった。

三回目は小泉首相が2004年に再訪朝した時。北朝鮮に残った拉致被害者の家族も日本に帰国できることになったのに、世論の強い圧力のために日朝国交正常化交渉は進展しなかった。拉致問題の解決とは何なのか曖昧なまま「拉致問題の解決なくして、国交正常化なし」という強硬な方針が固まってしまい、結果として何も進まなくなった。

四回目は横田めぐみさんの「遺骨」問題の時。北朝鮮が提供した遺骨を科学警察研究所と帝京大学が鑑定し、前者は鑑定不能、後者は横田めぐみさんとは別人のものと結論した。後者の鑑定結果は疑わしいものだったが、日本政府はその結果に依拠し、国交正常化交渉ではなく経済制裁へと向かった。

これらの問題の時期、透さんは家族会の事務局長だった。当時の判断には間違いもあった、と反省をこめて振り返っている。ただし、家族が感情で発言するのは自然だが政府がそれに同調するだけでは困る、とも述べている。

透さんの現在のスタンスは、日朝国交正常化交渉を進め、その中で拉致問題の解決を図っていくべきだ、というものだ。運動のレベルで言えば制裁一辺倒の右翼から対話一辺倒の左翼へと転じた形になっている。かつて行動をともにしていた荒木和博氏は透さんの最近の発言に対して冷淡だ。しかし拉致問題解決のためには「左右の垣根を超えた闘い」はたしかに必要だ。初期の救う会も「左右の垣根」を取り払う努力をして成功していた。もう一度原点に戻って運動が再構築されることを望みたい。

今週の北朝鮮(2009/05/30-2009/06/05)
投稿者 kazhik : 2009年6月 7日 15:20
コメント&トラックバック

あはは、「左右の垣根を越えた闘い」だって?冗談もいいかげんにしてくれ。
資本主義の衰退期において、共産主義革命のみが歴史によって提起された唯一の課題であるとき、プロレタリア革命運動とブルジョアの政治勢力とのあいだには、たとえ「一時的」「部分的」であったとしても、いかなる共通任務も存在しえない。
ブルジョア勢力との共同は、いかなる意味でも完全な反革命の行動である。
このことは、ボリシェヴィキ=レーニン主義者にとっては常識である。

ZYXのコメント(2010年1月21日 15:50)

このエントリーのトラックバックURL:
http://asiavoice.net/mt/mt-tb.cgi/351