朝鮮民主主義研究センター

2009年5月17日

暴力はどこにあるのか?

北朝鮮の現体制をどう捉えるか、そして近隣の日本に住む者としてどのような行動を取ればよいか、といった問題について、Arisanのノート弯曲していく日常の間で議論が行われている。

前者のArisanさんは、強制収容所や飢餓の情報を「おおむね正しい情報であろう」と認めつつも、現体制の打倒につながるような行動や考えが「無条件の正義とか、非暴力の道のように言うことは、とても出来ないだろう」という。「介入的な行為は、やはり破壊であり、侵略でさえありうる」という理由からだ。イラクの例が挙げられている。そして「お前は収容所の何百万や、飢餓や貧困に苦しむ人たちを見捨てるのかと言われれば、今のところ、うなづくしかない」と結論している

翌日のエントリでは、「A (仮定だが)何百万かの人が収容所に入れられたり、貧困や飢餓や人権の剥奪に苦しんでいるという暴力」よりも「B われわれが、朝鮮の人々の多くが精神的に依拠しているであろう(これも、どの程度かは仮定だ)体制と国家のあり方を否定し、それを奪うという暴力」のほうが根本的だ、という見解を示している。Bの暴力は「われわれが過去においても現在においても行使しているもの、少なくともその行使を容認しつづけているものであって、そのひとつの結果としてAが生じているという側面が大きい」ということだ。

この見解については既に「弯曲していく日常」でnoharraさんが的確にコメントしているが、私も少し付け加えることにしたい。

まず、Arisanさんの事実認識はあまり正確とは言えない。強制収容所に入っていると言われるのは数百万人ではなく20万人程度だ。飢餓については1990年代が一番厳しく、現在は落ち着いている。一般的に貧しいのは確かだが、餓死者が出るほどの状況ではない。

Bの暴力、として語られていることも内容が曖昧だ。飢餓や人権侵害をもたらしたのは日本を含む国際社会の圧力だ、と言いたいのか、あるいは、現体制を軍事的に転覆することに反対したいのか。後者については、軍事攻撃を準備している政府は存在せず、そうすべきだという主張もごく一部にしか存在しないので、議論する意味がない。前者についてはもっと具体的な議論が必要だ。国際社会がどのように北朝鮮に対して飢餓や人権侵害を強いたのか。国際機関が北朝鮮に人道支援を行い、人権侵害を非難しているのはマッチポンプなのかどうか。ぜひ説明してほしいものだ。

おそらくArisanさんは北朝鮮に何の関心も持ってこなかったのだろうと思う。強制収容所や飢餓のことを聞いても当事者の顔を思い浮かべることはなく、単なる情報として受け流したのだろう。だから不確かな知識で漠然とした疑問を述べることしかできないのだ。北朝鮮には自由なメディアは存在せず、外国のジャーナリストが自由に取材して報道したこともないので、想像力が働かなくても仕方がない面はある。しかしこれを機会に脱北者の手記でも読んでみたらどうか。

今週の北朝鮮(2009/05/09-2009/05/15)
投稿者 kazhik : 2009年5月17日 08:03
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Arisanのノートの「可視化されるべき暴力」というエントリー、 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090515/p1 こ... [続きを読む]

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