金光翔氏が昨年11月発行の『インパクション』で発表した論文「<佐藤優現象>批判」をウェブ上で公開した。
「佐藤優現象」とは、右翼的な見解を持っている佐藤優が『世界』や『週刊金曜日』といった左派系のメディアでも活躍している状況を指している。金氏によれば、彼は右派系のメディアと左派系のメディアでは少しずつ論点を変えているという。右派系のメディアでは排外主義的な主張を展開しているのに左派系のメディアは問題とせず、むしろ重用している、とのことだ。
佐藤優が排外主義者であることの論証として、金氏は三つの論点を挙げている。アジア太平洋戦争に関して大東亜戦争肯定論の焼き直しというべき見解を取っていること、対北朝鮮外交に関して拉致問題の解決を日朝交渉の大前提とし、戦争も選択肢の一つとしていること、朝鮮総連に対する政治弾圧を積極的に支持していることだ。
その一方で佐藤は左派系メディアに受け入れられる見解も示しているという。歴史認識に関わる中国や韓国からの対日批判を、日本の問題としてではなく中国や韓国の問題として捉える「反日ナショナリズム」論を提示したこと。2005年の衆議院選挙における小泉自民党の圧勝をメディアの煽動によるものと説明したこと。格差社会に反対していること。そして旧来の左右対立を否定してみせたことだ。
金氏はさらに考察を深め、左派系メディアの中にはファシズムの到来に対する危機感があり、そこから人民戦線的に右派の佐藤までが重用されているのではないかと推測する。その上で、戦前型のファシズムが再来することなどありえず、人民戦線といっても在日朝鮮人が排除された国民戦線でしかない、と批判する。
また、金氏は「喫緊の問題である改憲問題」に関し、焦点は「日本国家による、北朝鮮への武力行使を認めるかどうか」だと見なす。佐藤氏のように対北朝鮮戦争を認める人物を護憲派に引き入れると護憲の中身が無内容になってしまい、結局は改憲派に負けてしまうという。論文は次の言葉で結ばれている。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
「佐藤優現象」と金氏が呼ぶ状況には私も以前から違和感を持っていた。彼は外務省の職員としてロシア外交の現場で工作活動を行っていた経歴を持つ。簡単に言えば元スパイだ。現在は第一線から退いているのかもしれないが、軽々しく信用するのが正しいとは思えない。しかし金氏はもっと大きな状況認識の中で彼の活躍を位置づけている。私は右派系メディアで彼が書いている文章はほとんど読んでいないので、とても参考になった。
人民戦線論に対する批判もおおむね共感できるものだ。元々の原則を投げ捨てて勝利を得ても意味がない。選挙のたびに「戦略的に」よりましな保守系候補への投票が呼びかけられるのにはいつも閉口させられる。最近の例では昨年の東京都知事選がそうだった。石原慎太郎を落選させようとする運動の中で浅野史郎がかつぎだされたが、私は浅野史郎になんの魅力も感じなかった。
しかし、金氏の見解にも同調できない部分は多い。
まず、佐藤優を排外主義者と見なすのは乱暴すぎる。大東亜戦争肯定論を支持し、対北朝鮮戦争を選択肢の一つとしていても、それは彼が帝国主義者だということを意味するだけだ。帝国主義と排外主義は異なる。排外主義とは移民を排斥したり差別したりする思想のことだ。朝鮮総連に対する弾圧を支持するのは結果として排外主義につながる可能性もあるが、佐藤優が支持するのは朝鮮総連という組織に対する弾圧であって個々の朝鮮人の排斥ではない。
そもそも佐藤優が北朝鮮の専門家でないことは誰でも知っている。北朝鮮政策を論じる中で戦争を選択肢の一つと認めたことがあったとしても、そこから「対朝鮮民主主義人民共和国武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している」などとレッテルを貼るのは行き過ぎだ。
おそらく金氏には右翼はみんな同じに見えるのだろう。右翼はみんな帝国主義者で排外主義者だ、と思い込んでいるから、佐藤優が彼なりの国益論にしたがって排外主義を批判していても自己矛盾にしか見えないのだ。しかし、そんなことでは日本の政治状況がどこからどこへ向かっているか理解できないのではないか。
その問題点がはっきり現れているのが「日本国家による、北朝鮮への武力行使を認めるかどうか」が改憲論議の焦点だという状況認識だ。いったい何を見ていればそんな認識が出てくるのか。日本の国会で対北朝鮮戦争が争点になったことは一度もない。小泉政権のときに飛び出した「敵基地攻撃論」でさえ、北朝鮮からミサイル攻撃を受けたら、という仮定での論議にすぎず、実際に北朝鮮攻撃が行われようとしていたわけではなかった。軍備拡張のためのネタとして「北朝鮮の脅威」が使われることはあっても、北朝鮮に対する軍事攻撃がそれ自体として論議されることは今後もない、と断言できる。
金氏は人民戦線論を批判する文脈で次のように書いている。
私は、戦前型のファシズムが再来するとでも言いたげな(いかにも一時代前の「左翼」的な)誤った情勢認識の下に、佐藤を一例とするような右翼とともに一種の人民戦線を築こうという志向が仮に社会的にも力を持ったならば、それこそが、日本社会のより一層の右傾化と、改憲の現実化をもたらすと考える。
この批判は「戦前型のファシズム」を「対北朝鮮武力行使」に置き換えればそのまま金氏自身に当てはまる。いかにも一時代前の「左翼」的な誤った情勢認識の下に、朝鮮総連や金正日体制の様々な問題を不問に付してしまえば、日本の人民にとっても北朝鮮の人民にとっても不幸な結果しか得られないだろう。
二つ質問します。
kazhikさんは「北朝鮮政策を論じる中で戦争を選択肢の一つと認め」ることは、問題だとは思いませんか?
また、朝鮮総聯は韓国民団と並び、在日朝鮮人を代表する組織だというのが客観的認識だと思います。たとえば朝鮮学校は、総聯なしにはその存在はありえませんよね。それを弾圧することと「個々の朝鮮人の排斥」は関係ないという主張は、無理があるのではないでしょうか。実際、朝鮮学校も総聯弾圧の一環として弾圧されているわけですし。
nomadのコメント(2008年2月 4日 23:00)
久しぶりに来ました。呆れる化石がいるんですね。驚きました。サヨク原理主義と言ったらいいのか・・。佐藤氏は大笑いすると思います。
忙しくてブログの更新ができず、トラックバックをいただいたエントリーへの返信ができないままです。
ご容赦ください。
西村幸祐のコメント(2008年2月 6日 05:08)
>nomadさん
私が言っているのは、佐藤優氏は帝国主義者ではあっても排外主義者ではない、ということです。対北朝鮮戦争や総連弾圧の是非はここでは問題にしてません。
>西村さん
佐藤氏が右翼であれ何であれ、非常に優れた論客なのは確かだと思います。だからこそ左派系メディアからも声がかかっている、と私は理解しています。
kazhikのコメント(2008年2月 6日 19:55)
お返事ありがとうございます。
> 佐藤優氏は帝国主義者ではあっても排外主義者ではない
なるほど。では、その点をもって、kazhikさんが何をおっしゃりたいのか、私にはよくわからないのですが(金光翔氏を批判しようとしているということはわかるのですけど)。
また、佐藤優を排外主義者だと主張することと、「朝鮮総聯や金正日体制の様々な問題を不問に付」すことと、どういう関係があるのでしょうか。
また、あらためて問いますが、総聯弾圧と「個々の朝鮮人の排斥」は関係ないという主張は、無理があるのではないでしょうか。朝鮮学校や朝鮮商工会への弾圧は総聯弾圧の一環として行われていると思いますが、これは個々の朝鮮人の生活を破壊していることになりませんか?
nomadのコメント(2008年2月 7日 09:13)
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