イギリスの経済誌『The Economist』が発表している民主主義ランキングに関連し、高世仁氏がブログで「天皇制は悪くない」という記事を書いている。上位10ヵ国中7ヵ国が王制であるのに対し、下位5ヵ国(北朝鮮、中央アフリカ、チャド、トーゴ、ミャンマー)はいずれも共和制だ、と指摘。さらに「ナチズム、スターリニズム、文革期の中国、ポルポト政権など『全体主義』が、すべて『共和制』であったのは言うまでもない」という。
このランキングがどれほど妥当なものなのか、私は判定できない。スウェーデンが1位、と言われてもピンとこないというのが正直なところだ。しかし、ここから「王制の国は民主主義度が高い傾向にある」「天皇制は悪くない」などと一般化されると抵抗を感じる。
民主主義ランキングで下位の国々のうち、北朝鮮とミャンマーの建国は1948年、中央アフリカ・チャド・トーゴは1960年だ。いずれも第二次世界大戦後に建国されているのだから、いきなり君主が登場するわけがない。これらの国々が君主制国家として建国されていれば民主主義度は高くなっていただろう、とも言えない。最下位の北朝鮮は、形式的には共和国として建国されたが、現在では金正日を国王とする絶対君主制と見なすのが実態に合っている。最高指導者はもちろん、その家族までが神格化されているし、年号は金日成の誕生日を起点にしている。そして金正日の権力を制限するいかなる仕組みもない。
全体主義国家はすべて共和制だった、というのも事実ではない。第二次世界大戦当時のイタリアと日本は君主制で、かつ全体主義の特徴を揃えていた。
ランキングで20位になっている現在の日本に関して言えば、天皇制廃止の主張がマスメディアに登場することはないし、雅子が批判されることはあっても裕仁や明仁が批判されることはない。天皇制に関する言論の自由は事実上存在しない。この点に限れば日本は北朝鮮と変わらないのだ。天皇制は日本の民主主義度を高めているのではなく、低めている。
青木直人氏のブログが金正日後の北朝鮮に対して中国が軍事介入する可能性を指摘している。その際に中国は「国際社会と米国との協調を背景に、『地域の安定と混乱の回避のため』、鴨緑江を越えて、北朝鮮国内に進軍する」。金正日がいなくなることによる権力の空白を埋めるのは中国しかなく、また、中国の影響で北朝鮮が改革開放へと向かえば今よりマシなので、関係国も内心で歓迎するという。このような展望に立ったうえで、青木氏は「中国軍の北朝鮮出兵は北朝鮮国民への『連帯』なのか、それとも隣国への『侵略』なのか」と問いかけている。
10年近く前、私は青木氏から同じテーマについて問いかけられたことがある。そのときはアメリカの対北朝鮮戦争がテーマだった。まだ北朝鮮に特別な関心を持っていたわけではない頃で、私の返答は左翼的な常識の枠内におさまるものだったように記憶している。その後私はRENKに参加し、少し考えを変えた。数年前に似たようなテーマで論議が起こった際、私は「奴隷の平和か、自由のための戦争か、という究極の選択を迫られたら、私だって戦争に賛成するかもしれません。それで戦争容認派と言われても結構」と書いた。
しかし、なぜいま中国の北朝鮮への軍事介入が問題となるのだろうか。金正日が死にかけているという兆候はないし、体制の崩壊へ向けてカウントダウンが始まったわけでもない。飢餓や脱北は一段落しており、周辺国との関係も一応安定していると言っていい状況だ。金正日体制をどのように終わらせるか、という論議をスキップしてポスト金正日体制を論じることに意味があるとは思えない。
金正日なき朝鮮労働党政権が中国の軍事介入を受け入れる、という見通しにも疑問がある。北朝鮮で権力の空白が生じたら、その穴を埋めるのは韓国だということは自明ではないのか。朝鮮戦争のときとは異なり、今の中国にとって韓国は敵国ではない。朝鮮半島の統一が実現すれば在韓米軍も駐留の名分を失って撤退するだろう。あえて韓国による統一を阻めば韓国との関係が悪化し、その一方で北朝鮮経済を再建するコストを負担することになってしまう。
数年前であれば、中国政府は脱北者の全面的な受け入れを宣言することで北朝鮮の体制を崩壊に導くことができただろう。軍事力を使わない、人道的に非難の余地がない選択肢だった。しかし中国政府はそうせず、千載一遇のチャンスを失った。今後も現状維持を基本とする北朝鮮政策が続く、と判断するのが一番自然に思える。
韓国の民主労働党の分裂が決定的となった。
2月3日にソウルで開かれた臨時全党大会において、非常対策委員会が提出した改革案が否決された。親北朝鮮政策(従北主義)を清算しようとする改革案で、とりわけ「一心会」関係者、つまり1989年から北朝鮮のスパイとして活動していたとして1986年に逮捕された党幹部を除名することを求めていた。しかし多数を占める親北朝鮮派によって否決されてしまった。
この結果を受け、非常対策委員会のシム・サンジョン代表は翌日に非常対策委員会の総辞職を表明した。5日には魯会燦(ノ・フェチャン)議員が離党を宣言し、つづいて親北朝鮮政策に批判的な党員が次々に離党する事態となった。すでに趙承洙(チョ・スンス)元議員が臨時全党大会前の1日に離党して新党創設に乗り出している。これに合流する形で北朝鮮の現体制に批判的な勢力が結集する見込みだ。
もともと民主労働党には、民族主義の観点から親北朝鮮政策を支持する自主派(または民族解放派、NL派)と、社会主義の観点から北朝鮮の体制に批判的な平等派(または民衆民主派、PD派)があった。金大中、盧武鉉政権が対北朝鮮融和政策を進める中、民主労働党でも自主派の勢力が強まり、政府よりさらに親北朝鮮的な「従北主義」が支配していた。北朝鮮が核実験を強行しても反対できず、脱北者に対してもきわめて冷淡だった。
しかし昨年末の大統領選挙で敗北したことで改革が避けられなくなり、非常対策委員会がつくられた。代表となったシム・サンジョンは平等派出身で、北朝鮮政策の修正を中心として意欲的な党改革に乗り出すかに見えた。しかし結果は完敗だった。世論の支持を失っても改革できない民主労働党の命運は尽きたと言っていい。
平等派がつくる新しい左派政党に明るい展望があるわけではない。保守系の李明博政権の下で労働運動に対する弾圧は強まるだろう。新政党が保守派と違うどのような北朝鮮政策を打ち出すのかも不明だ。北朝鮮が核実験を強行しても分裂しなかったのに、大統領選挙で負けたら分裂するというのも無原則に感じられる。
とはいえ、新しい北朝鮮政策をもった新しい左派政党が現れれば、左は親北朝鮮で右は反北朝鮮、という硬直した政治状況に風穴が空くかもしれない。
金光翔氏が昨年11月発行の『インパクション』で発表した論文「<佐藤優現象>批判」をウェブ上で公開した。
「佐藤優現象」とは、右翼的な見解を持っている佐藤優が『世界』や『週刊金曜日』といった左派系のメディアでも活躍している状況を指している。金氏によれば、彼は右派系のメディアと左派系のメディアでは少しずつ論点を変えているという。右派系のメディアでは排外主義的な主張を展開しているのに左派系のメディアは問題とせず、むしろ重用している、とのことだ。
佐藤優が排外主義者であることの論証として、金氏は三つの論点を挙げている。アジア太平洋戦争に関して大東亜戦争肯定論の焼き直しというべき見解を取っていること、対北朝鮮外交に関して拉致問題の解決を日朝交渉の大前提とし、戦争も選択肢の一つとしていること、朝鮮総連に対する政治弾圧を積極的に支持していることだ。
その一方で佐藤は左派系メディアに受け入れられる見解も示しているという。歴史認識に関わる中国や韓国からの対日批判を、日本の問題としてではなく中国や韓国の問題として捉える「反日ナショナリズム」論を提示したこと。2005年の衆議院選挙における小泉自民党の圧勝をメディアの煽動によるものと説明したこと。格差社会に反対していること。そして旧来の左右対立を否定してみせたことだ。
金氏はさらに考察を深め、左派系メディアの中にはファシズムの到来に対する危機感があり、そこから人民戦線的に右派の佐藤までが重用されているのではないかと推測する。その上で、戦前型のファシズムが再来することなどありえず、人民戦線といっても在日朝鮮人が排除された国民戦線でしかない、と批判する。
また、金氏は「喫緊の問題である改憲問題」に関し、焦点は「日本国家による、北朝鮮への武力行使を認めるかどうか」だと見なす。佐藤氏のように対北朝鮮戦争を認める人物を護憲派に引き入れると護憲の中身が無内容になってしまい、結局は改憲派に負けてしまうという。論文は次の言葉で結ばれている。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
「佐藤優現象」と金氏が呼ぶ状況には私も以前から違和感を持っていた。彼は外務省の職員としてロシア外交の現場で工作活動を行っていた経歴を持つ。簡単に言えば元スパイだ。現在は第一線から退いているのかもしれないが、軽々しく信用するのが正しいとは思えない。しかし金氏はもっと大きな状況認識の中で彼の活躍を位置づけている。私は右派系メディアで彼が書いている文章はほとんど読んでいないので、とても参考になった。
人民戦線論に対する批判もおおむね共感できるものだ。元々の原則を投げ捨てて勝利を得ても意味がない。選挙のたびに「戦略的に」よりましな保守系候補への投票が呼びかけられるのにはいつも閉口させられる。最近の例では昨年の東京都知事選がそうだった。石原慎太郎を落選させようとする運動の中で浅野史郎がかつぎだされたが、私は浅野史郎になんの魅力も感じなかった。
しかし、金氏の見解にも同調できない部分は多い。
まず、佐藤優を排外主義者と見なすのは乱暴すぎる。大東亜戦争肯定論を支持し、対北朝鮮戦争を選択肢の一つとしていても、それは彼が帝国主義者だということを意味するだけだ。帝国主義と排外主義は異なる。排外主義とは移民を排斥したり差別したりする思想のことだ。朝鮮総連に対する弾圧を支持するのは結果として排外主義につながる可能性もあるが、佐藤優が支持するのは朝鮮総連という組織に対する弾圧であって個々の朝鮮人の排斥ではない。
そもそも佐藤優が北朝鮮の専門家でないことは誰でも知っている。北朝鮮政策を論じる中で戦争を選択肢の一つと認めたことがあったとしても、そこから「対朝鮮民主主義人民共和国武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している」などとレッテルを貼るのは行き過ぎだ。
おそらく金氏には右翼はみんな同じに見えるのだろう。右翼はみんな帝国主義者で排外主義者だ、と思い込んでいるから、佐藤優が彼なりの国益論にしたがって排外主義を批判していても自己矛盾にしか見えないのだ。しかし、そんなことでは日本の政治状況がどこからどこへ向かっているか理解できないのではないか。
その問題点がはっきり現れているのが「日本国家による、北朝鮮への武力行使を認めるかどうか」が改憲論議の焦点だという状況認識だ。いったい何を見ていればそんな認識が出てくるのか。日本の国会で対北朝鮮戦争が争点になったことは一度もない。小泉政権のときに飛び出した「敵基地攻撃論」でさえ、北朝鮮からミサイル攻撃を受けたら、という仮定での論議にすぎず、実際に北朝鮮攻撃が行われようとしていたわけではなかった。軍備拡張のためのネタとして「北朝鮮の脅威」が使われることはあっても、北朝鮮に対する軍事攻撃がそれ自体として論議されることは今後もない、と断言できる。
金氏は人民戦線論を批判する文脈で次のように書いている。
私は、戦前型のファシズムが再来するとでも言いたげな(いかにも一時代前の「左翼」的な)誤った情勢認識の下に、佐藤を一例とするような右翼とともに一種の人民戦線を築こうという志向が仮に社会的にも力を持ったならば、それこそが、日本社会のより一層の右傾化と、改憲の現実化をもたらすと考える。
この批判は「戦前型のファシズム」を「対北朝鮮武力行使」に置き換えればそのまま金氏自身に当てはまる。いかにも一時代前の「左翼」的な誤った情勢認識の下に、朝鮮総連や金正日体制の様々な問題を不問に付してしまえば、日本の人民にとっても北朝鮮の人民にとっても不幸な結果しか得られないだろう。