10月の南北首脳会談を受け、『週刊かけはし』に長大な論文が掲載された。韓国の左翼党派「労働者の力」で中央執行委員を務めているコ・ミンテク氏の論文を翻訳したものだ。小見出しを拾いだすと以下の通り。
基本的な趣旨は「労働者民衆陣営」内部での共同戦線形成の呼びかけだ。南北首脳会談によって統一が具体的な日程に上ってきた、という認識が出発点になっている。呼びかける相手は民主労働党を中心とする勢力で、論文では「民族主義陣営」として言及されている。
韓国の政治状況は日本と違っていて分かりにくいと思うので、少し補足しておく。保守主義陣営、自由主義陣営、労働者民衆陣営という三つの陣営があり、労働者民衆陣営は民族主義陣営と左派陣営に分かれる、というのがこの論文の前提になっている構図だ。保守主義陣営とはハンナラ党、自由主義陣営とは大統合民主新党(現在の与党)だと考えればよい。民族主義陣営という言葉は日本の政治状況だと右翼のイメージになるが、韓国の場合はやや異なる。社会主義を標榜しつつ民族主義を強調する体制が北にあるため、それとの統一を目指す勢力は「労働者民衆陣営」の内部で民族主義陣営と位置づけられるわけである。
論文に戻ると、肝心なのは最後に提案されている一種の取引だ。
労働者民衆運動陣営が東北アジア、韓半島情勢への対応のために共同戦線を形成するためには支配階級に対する態度において、いくつかの合意に到達しなければならない。まず北に対しては最小限、米国の対北敵対政策の撤回と「北核問題」が解決されるまでは北の体制や政権に対する認識の違いを互いに問題とせず、それぞれの政治的煽動、宣伝の自由や、それに対する批判の自由を同時に認めることができるようにしなければならない。どのみちこの問題は短期間には解決されがたく、さらに言えばこれは統一韓国以後も継続し得る問題だ。
だが南の支配階級に対しては原則的で政治的な対立角を鮮明にしなければならない。このために民族主義陣営は自由主義政治勢力に対する依存的な態度にけりをつけなければならないし、左派陣営は民族主義陣営との共同対応を実現させるための積極的な努力をしなければならない。この点が可能になるのであれば、国内の政治力学を考慮して事案別に米帝国主義および国内の保守主義陣営に対応するための自由主義政治勢力との事案別の連帯が完全な不可能なことではないということもあり得る。そのために民族主義陣営は韓半島問題についての考慮のゆえに国内の階級闘争の過程で協調的な態度を取るようなことはこれ以上、行ってはならないし、左派陣営の場合も韓半島問題において自由主義政治勢力が果たすことのできる役割を全面否定する必要はない。
北朝鮮政策に関し、金正日体制に対する批判の優先度を引き下げるというのが第一の提案。「左派」の「民族主義陣営」に対する譲歩だ。第二の提案は自由主義政治勢力からの自立で、金大中・盧武鉉政権を支えてきた勢力から距離を取ることを「民族主義陣営」に求めるものだ。
論文は北朝鮮の人権問題には全く言及していない。「脱北者」という単語も登場しない。北朝鮮政策に関する左派の政策が「中途半端」だったと整理されているが、それは南北経済協力を反グローバリゼーションのイデオロギーとは切り離して認めていく意図からのものだ。「労働者国際主義」という言葉で語られているのは朝鮮半島での戦争だけでなくアフガニスタンやイラクでの戦争にも反対しようということであって、北朝鮮の労働者との連帯は最初から問題にされていない。これでは足して2で割っただけの「現実主義的」な妥協案としか評価できない。
唯一肯定的に評価できるのは、南北経済協力と関連して「資本の進出だけが許容され、労働者民衆の往来は統制される現実を変えなければならない」と主張している点だ。人の往来が自由化されたら確かに画期的だ。韓国の左翼勢力が民主化闘争の経験を北に持ち込んでくれたら状況は根本的に変わる。
しかしその前提になっている認識は「大多数の人々にとって統一は、すでに大事件という側面よりは一連の過程であり、迫り来る手順となっている。統一自体に対する感激や興奮よりは、それが自らの日常と暮らしに及ぼす影響がどうなのかを推し測ってみるほどに状況は変わっている」というものだ。あまりにも現実離れしている。北朝鮮の体制が少しも変わっていないのになぜ統一が「迫り来る手順」なのか。金正日が「労働者民衆の往来」を認める可能性があるなどと本気で思っているのか。
韓国の言論状況は今まで想像していた以上に閉鎖的になっているようだ。
民労党は、80年代の学生運動以来の二つの潮流、民族主義的な傾向の強いNL派と、階級志向のPD派が中心を占めており、とくにNL派が主流派を形成していたはずです。もっとも、ぼくが話したことのある若い民労党党員は、若い世代はNLだのPDだのという意識をもっていない、とも言っていました。さて、「労働者の力」は、その論文内容からも、また「かけはし」にしばしば掲載されている事実からも容易に分かるように、おそらくPD派よりも、さらに純粋な階級志向を持った小グループのように推測されます。
ぼくも正確なところは知りません。ただ、韓国の左派や市民運動の基本的な構図や、そこで議論されていることに対して、日本語で紹介されている内容はあまりにもわずかであり、韓国語に不自由のある我々はよくわかっていないということについては、自覚すべきではないかと思います。「韓国の言論状況は今まで想像していた以上に閉鎖的になっているようだ」と断じるのは軽率ですし、生産的ではありません。日本の言論状況を「スパルタシスト」機関紙から論じますか?(「労働者の力」を彼らと同列とは思いませんが)
ぼくは日本の言論状況の閉鎖性を憂いておりますヨ。
kaximaのコメント(2007年12月 5日 21:27)
融和政策が統一をもたらすなどというのは妄想でしかありません。妄想を続けるために独裁体制も強制収容所も黙認、というのが韓国においてコンセンサスになりつつあることは問題だと思います。よく分からないのだから黙っていればよい、というのはそれこそ生産的じゃないのでは?
kazhikのコメント(2007年12月 9日 13:03)
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