朝鮮民主主義研究センター

2004年9月26日

朱建栄『毛沢東の朝鮮戦争』

1950年10月、中国は「抗米援朝」というスローガンを掲げて朝鮮戦争に参戦し、中朝国境付近まで押されていた北朝鮮を救った。本書は中国が参戦を決める過程を詳細に分析した名著だ。1991年に出版されたものの文庫化だが、その後の研究に基づいて記述が改められている。

1950年6月27日、アメリカのトルーマン大統領は声明を発表して朝鮮戦争への介入を宣言した。この声明が中国の激しい反応を呼び起こしたことを著者は指摘する。中国はアメリカの戦略を「三路向心迂回」、つまり、朝鮮半島、台湾、インドシナの三つのルートから中国侵略をめざすものだと理解したというのだ。中国は参戦の準備を始めた。

しかし参戦の準備は参戦そのものではない。毛沢東は即時参戦を主張したが、指導部内では反対派や消極派が多数を占めた。著者は1950年10月2日に毛沢東がスターリンに送った電報を紹介する。電報は二通ある。一通目は参戦の決定を伝えるもの、二通目は参戦の見送りを伝えるものだ。著者はスターリンに実際に送られたのは二通目であろうと分析する。一通目は10月2日の書記局会議の前に書かれ、毛沢東の主張を反映したものだったが、会議で通らなかったので二通目が書かれたのではないか、という。

参戦の見送りを伝えられたスターリンからは、臆病者になるな、と改めて参戦を求める返電が届いた。金日成からも苦境を伝えつつ援軍を求める親書が来た。毛沢東は10月5日の政治局拡大会議で再び参戦を主張し、ようやく勝利した。

このような論争過程は、当時の中国の指導部内に様々な見解があったことを示している。北朝鮮は同じ社会主義国家だから助けた、という単純なものではなく、「援朝」よりも「抗米」のほうが大きな要因だったことが明らかにされている。この点を理解することは現在の中国の政策を理解する上でも有益と言えそうだ。

投稿者 kazhik : 2004年9月26日 14:29
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