朝鮮民主主義研究センター

2004年5月30日

金賛汀『朝鮮総連』

かつて朝鮮総連は圧倒的多数の在日朝鮮人に支持されていたが、現在は見放され、白眼視されるに至っている。本書はそんな総連の歴史を記す。

総連は、1955年、その前身であった在日朝鮮統一民主戦線(民戦)の解散とともに設立された。民戦内で日本共産党の朝鮮人党員のグループ(民対派)と北朝鮮の指示を仰ごうとするグループ(民族派)の争いが起こり、民族派が勝利して民戦の解散と総連の設立が決まったものだ。総連は日本の革命運動に参与せず、日本の内政問題に関与しないという立場を鮮明にした。その結果、日本の社会運動や市民運動との結びつきは弱くなった。

総連の内部には事実上の朝鮮労働党日本分局として「学習組」がつくられた。朝鮮労働党はこれを通じて総連を支配し、変質させていく。組織に不満を持つ者は学習組の会合で糾弾され、自己批判を迫られるようになった。また、1967年頃を境として総連の指導思想は共産主義から金日成主義へと変わっていった。

批判を封じようとする動きは組織内にはとどまらなかった。1984年、北朝鮮帰国者の実態を報じた『週刊朝日』に数百人が押しかけて抗議。1997年、朝銀破綻問題を取りあげた毎日新聞に抗議。いずれも逆効果で、マスコミを敵に回す結果をもたらした。1994年にはRENKの集会に殴りこみ、警察の強制捜査を招いた。

民族学校と朝銀信用組合は総連を支えた二本柱だった。民族学校は在日の子どもたちに朝鮮語を学ぶ機会を与え、朝銀は在日の商工人の経済活動を支援した。しかし北朝鮮の経済が行き詰まりを見せるようになってきた1970年代から、朝銀は在日商工人に献金を要求する機関へと変質していった。融資の見返りに献金を要求する仕組みがつくりだされた。そしてバブル経済が崩壊すると朝銀も破綻へと追いやられた。民族学校も北朝鮮一辺倒の教育方針が嫌われて生徒が減り続け、1975年の3万人から現在は1万人になっている。

1970年代に入り、在日社会に定住志向が強まってきた。市民運動の中でも、自由、人権、民主主義といった理念に基づいて日本社会と「共生」すべきだ、という考え方が生まれ、1990年代には民団も同調して在日社会の主流となった。だが総連はこのような動きに反対し、誹謗中傷や妨害を繰り返した。

著者は総連組織に在籍した経歴を持つが、著者が描き出す総連の歴史は以上のように真っ暗なものだ。もともと「祖国」志向だった組織が、「祖国」とともに変質し、元々の支持者にとってさえ有害無益になってしまった歴史だ。著者は「在日大衆の支持を失った朝鮮総連は解散すべきであろう」とまで言い切っている。

出版:新潮新書、2004年5月
推薦度:★★★★★

投稿者 kazhik : 2004年5月30日 18:40
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